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COLUMN | 2022.4.5

欲望を善に換えるしくみ

執筆者
岡野 大
代表取締役 最高経営責任者(CEO)

こんにちは、sustenキャピタル・マネジメント代表取締役の岡野です。 

今回は、投資の持つ波及効果についてお話していきたいと思います。一昔前と比べれば、NISAやiDeCoといった税制優遇措置のある仕組みの拡充もあり、かなり投資することが一般的になりつつある現在ですが、それでもまだどこかで投資でリターンを得ること(不労所得)に対して後ろめたい気持ちを感じていたり、“あぶく銭”といったネガティブな表現を聞いたりすることもあります。この感情はどうも日本特有の文化でもあるようで、古くから「お金は不浄のもの」とされてきた歴史もあり、なかなか根が深いなと感じるときがあります。この記事では投資のポジティブな面、特に資本主義の基礎を担う市場原理が持つ社会への影響についてご紹介し、一人でも多くの方に気持ちよく資本市場に参加していただけたらと思っています。 

投資で利益を得るのは誰なのか 

投資に対してネガティブなイメージを持つ人たちの話を聞くと、どうも投資によって利益を得るのは投資家だけだと考えている節があるようです。たしかに、投資家は投資する際にはなにかしらのリスクを負うことで、リターンを得ます。このためリスクに対して耐性の強い人、すなわち資産をたくさん持つ人たち(あるいは収入が高い人たち)といった、言わば恵まれた人たちがより多くの投資をすることが可能であり、より多くのリターンを得ているように感じるのは仕方のないことです。 

ですが、だからといって、投資によって利益を得るのは投資家だけという訳ではありません。投資する人だけではなく、投資される人も、はたまた投資された人が生み出す物やサービスを使う人も皆が利益を得ているのです。 

具体的に考えてみましょう。とてもおいしいパンを作る技術を持った職人さんがいて、パン屋を開きたいと考えているとします。しかしパン屋を開業するための資金を十分に持ち合わせていません。誰かがこの職人さんにお金を貸すなり、出資するなりしなければ、誰もおいしいパンを食べられないままです。そこで投資家の出番です。投資家は、この職人さんの新しいパン屋がうまくいかなかったときにお金が返ってこないリスクを負って、資金を提供します。どんなにおいしいパンが作れたとしても100%うまくいくビジネスなんて存在しませんから、投資家は相応の条件(たとえば資金の返済金利であったり、将来の利益の配分率)を設定してリスクを負うことを考えます。そして職人さんが見事、とてもおいしいパンを作りお客さんもたくさん付いたときには、投資家は相応の条件のリターンを得ることができ、職人さんもパンの売上という収益を手にすることができ、さらに世の中の人たちもおいしいパンを食べることができ、と全員が利益を得ることができるのです。 

世の中こんな単純な話ばかりではありませんが、投資のエッセンスはこのパン屋の例に凝縮されます。まずは、相応の条件がない限り資金を提供する投資家が現れないということ。次に、投資がうまくいくかは、世の中の人に投資によって生み出された新製品やサービスが受け入れられるかが重要だということ。そして最後が繰り返しですが、投資がうまくいけば関わった人全員が利益を得られるかもしれないということです。

中には、「資金の出し手は条件を付けなくたっていいじゃないか。余っている資金を寄付すればいい。」という批判もあるかもしれません。たしかに純粋な寄付が投資を代替できるならば、それは素晴らしいことだと思いますが、完全に寄付に頼った仕組みは持続的とは言えません。資金の出し手に見返りがなければ、いずれは社会のどこにも余裕がなくなってしまい、新たな資金の出し手がいなくなってしまいます。 

あるいは、「結局全員が利益を得られるといっても、一番大きな利益をとっていくのは投資家であって、他の人の利益は微々たるものではないか。」という批判もあるでしょう。この批判には一理あり、投資家が設定する相応の条件(金利や利益の配分率)が著しく投資家有利になると、いくら投資とはいえフェアではなくなります。一方でこれは、市場原理によってある程度解決することが可能です。というのも、投資を受ける人(さきほどの例でいえば職人さん)は、必ずしも特定の人から投資を受けなければならないということはありません。より有利な条件を提示してくれる投資家を選べばいいのです。投資を受ける人がもっとも有利な条件で出資してくれる人を選べる開かれた場(市場)があれば、いずれ不公平な条件を提示する投資家は誰にも投資することができなくなり、公平な条件を提示しなければ利益を得ることができなるというわけです。 

“Greed is good” 

私の好きな言葉に“Greed is good(欲望は善である)”という言葉があります。この言葉は、1987 年に公開された映画『Wall Street(邦題:ウォール街)』の中で、登場人物の Gordon Gekko によって語られた言葉です(正確には、”Greed, for lack of a better world, is good.”) 。

私がはじめて、この言葉に出会ったときは衝撃的でした。どちらかというと「己の欲を捨て、他に貢献してこそカッコいい」と思っていたので(今もそう思っているところはありますが)、欲望が善であると聞いてもすぐには納得がいかなかったのです。 

特に、この映画の舞台となった金融業界や資産運用と聞くと、欲にまみれた人たちが日々生産性のないマネーゲームを繰り広げ、何も新しい価値を生み出さないギャンブルをしているだけなんじゃないかと。株のようなギャンブルに手を出して負けるくらいなら、ちゃんと貯金していた方が堅実でいいなと思っていました。日本では、金融に関する知識を教えてもらう機会がほとんどなかったため、私と同じような印象を持っている方も多いのではないでしょうか。 

しかし今では、「欲望は善である。」とはうまく言った言葉だなと感じています。 

というより、資本市場(株式や債券などを売買する市場)そのものが、人々の欲望を善(=新しい付加価値の創出)に変換するように設計されていると理解できるようになりました(もちろん完璧な仕組みではありませんが)。 

資本市場において、投資で継続的にリターンを上げるためには次の原則を守ることが肝要です。 

1.社会に必要とされる製品やサービスを提供する人たち(株式や債券)を、適正な評価(フェアバリュー)で投資、保有すること
2.フェアバリューより不当に低く評価されている証券を購入すること
3.フェアバリューより過大に高く評価されている証券を売却し、適正な評価になるまで保有しないこと

この原則を知らずとも(あるいは守らずとも)短期的にリターンを上げることは可能ですが、これらを無視して継続的にリターンを上げることはかなり難しいでしょう。 

まず、原則におけるフェアバリューとは何か。これは投資家が得られるべき見返りが、抱えるリスクに対して特段有利でも不利でもなく公平な状態にあることを意味します。公平な状態であれば、投資をすることでリスクに見合ったリターンを手にすることができ、かつそれがパン屋の例で見たように投資される人、ひいては社会全体の利益につながるのです。 

不当に投資家が有利な状態であったり、あるいは投資家が抱えるリスクに対する見返りが小さすぎる状態は、公平ではありません。資本市場では、公平ではない状態の取引に対して、さらにそれを助長する方向への取引(投資家有利の状態に対してさらに投資家が有利になるように取引をしたり、見返りが小さすぎる状態でさらに見返りを小さくしていく取引をしたりすること)を行うと、いずれ損をします。反対に、フェアバリューではないものに対して、フェアバリューに向かう方向の取引をすると利益が出るようになっています。 

つまり、投資家は継続してリターンを上げるならば、常にフェアバリューを正しく測ろうとすることが必要になるのです。資本市場の参加者は、自らの利益を長期的に最大化するために、取引する証券のフェアバリューを測ろうと日々ああでもないこうでもないと問答しているのです(あなたもテレビや新聞で証券アナリストが毎日、相場の見通しがどうのこうの、目標株価がどうのこうの言っているのを目にしたことがあるはず!)。 

誤解を恐れずにいうと、フェアバリューを測ろうとすることに善行の意識や社会貢献の意識は必要とされません。ここに、長期投資だとか短期売買だとか、裁定取引だとかいう概念は関係してきません。(ルールに則っていれば)どんな取引をしようとも、フェアバリューを付けるのに貢献した投資家は報われ、それが社会全体の利益につながるようにできています。投資家に善行の意思があろうとなかろうと、自己の利益を求めて投資するだけで社会にポジティブな影響を与えうるのです。まさに、欲望の持つ力を善行に変換しているのです。 

資源の効率的活用 

資本市場において評価される側、投資される側の立場に立って考えたとき、社会にとってより求められる製品やサービスを提供する人たちは、その付加価値に応じて将来の利潤も大きくなると予想されるため、フェアバリューはより高くなることが期待されます。これが売れる製品やサービスを生み出す会社の株価が上昇する背景です。 

フェアバリューが高まると、その証券を発行する人たちは、より有利な条件で資金を手にすることができ、もっと良い製品やもっと洗練されたサービスを開発することができるようになります。評価が高まり、資金が集まる産業ではさらに、周りを大きく巻き込んで開発競争がなされていきます。資本市場で評価が高まると、社会に必要な新しい付加価値が生み出されやすくなるのです。 

もしも、資本市場参加者がリターンを追求する欲望を持っていなければどうなるでしょう。 

もしも、価値に対して適正な評価を付けられる人が、リターンを受け取れない仕組みになっていたらどうでしょう。 

そのような状態では、社会に必要な付加価値を生み出している会社も永遠に適正に評価されることはなく、資金調達の条件も悪いまま放置され、社会が求める製品やサービスの開発が遅れるかもしれません。あるいは、価値を過大に評価された人たちが放置されてしまうと、その分野に不必要な資金が流入し、結果として資源を無駄に浪費し必要とされる新しい新陳代謝を生み出さないかもしれません。 

そのようなことがないよう、資本市場はフェアバリューを正しく測る人にリターンを与え、社会にとって資源を効率的に活用されるよう促す役割を果たしています。 

とはいっても、資本市場が常に万能というわけではないことを忘れてはいけません。市場参加者がフェアバリューを探求するといっても、間違わないというわけではないですし、むしろ人間の特性上、非合理的な主観や、根拠のない評価が入りがちで、現実的には市場評価は間違っている割合の方が高いのかもしれません。 

ですが、間違った状態を永遠に維持することはできません。評価を間違えば間違うほど、強烈な「答え合わせ」にさらされるのが資本市場です。投資バブルは、投資家の欲望が非合理に蓄積された結果膨張し、最後は維持できなくなったところではじけます。何度も間違えつつも、それでも長い目で見たら、参加者のリターン追求の姿勢が社会を正しい方向にけん引する=社会にとって資源を効率的に活用させようという力学が働く仕組みになっています。 

まとめ 

いかがでしたでしょうか。後半こみいったお話になって分かりづらくなってしまったかもしれませんが、投資に対するネガティブな印象を持っていた方も、少し投資してみようという気になっていただけたでしょうか。 本記事で重要なのは以下の3点です。

1.投資で利益を得るのは投資家だけでなく、その投資先が行ったビジネスに関係する人たち全員
2.市場参加者が自己の利益を追求することが取引される証券の適正な評価につながる
3.市場で適正な評価がなされることで社会に真に必要な新たな付加価値が生み出されやすくなる=社会貢献

私たちは、資本市場に参加するに当たっては、ルールに則っている限りどんな参加の仕方でも良いと考えています。もちろん投資の仕方によってはリターン効率の高いものから低いもの、あるいはそもそもリターンの見込めない投資行動などがありますが、それでもひとりでも多くの人たちが資本市場において投資をすることが、社会をより豊かにしていくと信じています。お金や投資を不浄のものと決めつけるのは少し離れ、投資をすることで自然に社会に貢献ができるという理解が広まるといいなと考えています。 

執筆者
岡野 大
代表取締役 最高経営責任者(CEO)

2012年ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント入社。戦略株式運用部(ヘッジファンドチーム)にて数百億円規模の株式、デリバティブ、為替等の投資判断を行った。ポートフォリオ・マネージャーとして海外の機関投資家のために運用を行ってきた一方で、日本の個人投資家のために品質の高いサービスを提供したいと思い続け、2019年7月株式会社sustenキャピタル・マネジメントを創業、代表取締役CEOに就任。東京大学大学院工学系研究科修了(修士)

2012年ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント入社。戦略株式運用部(ヘッジファンドチーム)にて数百億円規模の株式、デリバティブ、為替等の投資判断を行った。ポートフォリオ・マネージャーとして海外の機関投資家のために運用を行ってきた一方で、日本の個人投資家のために品質の高いサービスを提供したいと思い続け、2019年7月株式会社sustenキャピタル・マネジメントを創業、代表取締役CEOに就任。東京大学大学院工学系研究科修了(修士)